「はがきの書き方教室」概要メールが主流になっても「はがき」にはメールで伝えられない人間の温かみがある! 「はがき」をもらうときのうれしさ! わざわざお店で「はがき」を買って、手間暇かけて「はがき」を書いて、そして、とぼとぼとポストに投函する手間のありがたさ。便利な時代だからこそ、「はがき」は人の気持ちを幸せにするし、喜びを与えるのだ! |
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はがきの楽しみとありがたさを考えよう!【 面倒なものって楽しい? 】人間って便利なものを求めているような気がするが、その実、面倒なことが好きな動物なのだ。 たとえば、その昔ブームになった「たまごっち」。別にあれをやったからどうというわけではないのが、人はハマってしまった。ベランダのガーデニングだって、水やりとか面倒だ。ペットなんてその極みである。毎日えさと水をやらなければ死んでしまう。面倒なことなことだからこそ、人間はハマってしまうのである。 「はがき」も確かに面倒だ。なくなったらコンビニとかで買わなければならないし、書いたら書いたでポストに投函しなければならない。この投函、電車通勤ならば駅前にポストはあるが、車通勤だと、いちいちポストの前で止まらなければならない。通勤ルートにポストがなければ、ポストのある道へと迂回しなければならない。 実に面倒なのだ。しかし、面倒だからこそ、メールにはない充実感があるのだ。 また、面倒だからこそ、もらう方も嬉しいのだ! 【 手間をかけるから受け手はありがたく感じるのだ! 】もらって嬉しいものと言えば、手間がかかっているものか、金のかかっているものだ。手間も金もかかっていないものはもらっても嬉しくない。 盆暮れの挨拶、オイラは日本橋のデパートから送る。日本橋のデパートなんて言うと、三越のルイヴィトンか高島屋のハンティングワールドか、地下の菓子くらいしかほしいものはないので、ほとんど(てゆ〜か全く)買い物はしない。ルイヴィトンにしても、三越本店よりも、銀座松屋の方が大きいしなど、あってもなくてもどうでも良い存在なのだ。 しかし、オイラが盆暮れにわざわざ日本橋のデパートに行くのは、手間をかけることで相手に敬意を表しているに他ならない。品物に金を出すと言うよりは、包装紙に金を払っている感覚だ。 近所のスーパーでも盆暮れになるとギフトコーナーは設置されるが、買う気は全然しない。オイラの中で、スーパーから盆暮れを送るというのは、失礼だという基準があるからだ。スーパーのギフトコーナーにいるおばちゃんたちを見ると、「ダンナを出世させる気があるのか?」とか、「ダンナは文句を言わないのか?」と余計なお世話的ことを考えてしまったりする。 もちろん、スーパーにはちょくちょく買い物に行っているし、お世話にもなっているが、何事もTPOがあるのだ。 「はがき」もこれと同じで、それなりの相手に送るならば、手間暇金をかけることが大切なのだ。この手間暇金という感覚は、メールでは表せないのだ。 あなたの思うはがきの良さや受け取ったときのありがたさを教えてください
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